言語学習者にクレルとモラウの使い方の違いを説明しようとする時、「話者中心の方向性」は不十分な論理である。本稿は現代日本語に汎用されている受益表現のクレルとモラウの間に見られる意味論的差異についての文法説明を話者の認識把握という視点から試みたもので、話者の語彙選択のメカニズムの解析を行い、言語学習者及び教師にとって納得のできる文法解析を目的とする。テクレル、テモラウについても併せて検討する。従来クレル、モラウの意味論的差異は「他行自利/自行自利」或は「受動/能動」といった対立の概念で説明されることが多いが、その定義は研究者によって反転するので、実用的とは言えない。このヴォイスを基にした説明は実際の言語使用例を説明しようとすると、例外を多く残すという短所もある。本研究では全て日常生活で実際に使用された例のみを分析の対象とし、出版物、テレビ放送等から例を収集した。その結果、テクレルとテモラウの使用分布に著しい偏りがあることが判明した。まず、10冊の随筆集の全ての中でテクレルの使用頻度がテモラウの2倍から5倍も多く使用されていた。このことはクレルとモラウを一絡げにする不適切さを示唆していると言える。次に、二語とも使役形・可能形と共起することが分かった。分析の結果、話者がその「受益の事柄」において自身の非力・下位(管理力の欠如)を認知している時はテクレルを使い、自身の優位・管理力を認知している場合はテモラウを使用するという事が分かった。例えば、神仏が与益者の時はテクレルのみが使用されている。話者の自身と相手との力関係(上下)の観念が語彙の選択決定に深く関与している、と言う結論に達した。