言語学から日本語教育への貢献という視座は近年ますます重視されるようになったが、一般にその多くは命題的認知的な側面(e.g., 格、テンス・アスペクト、条件文)や対人的社会的な側面(e.g., 終助詞の対人機能、モダリティ、アイデンティティ問題)で、例えば喜び・悲しみ・怒りといった情意の表出という言語の劣らず重要な側面にはあまり関心が向けられていない。
そこで本研究では、まず衝突的対話に現れる二人称代名詞「オマエ」の中には、文法化(e.g., Hopper and Traugott 1993)により、怒り・敵意・苛立ちなど話し手の否定的な情意を指標する擬似終助詞として使われている事例があることを示し、その後「情意の言語学」(メイナード 2000)の視点からも日本語教育に貢献できる部分がないか問う。 分析対象は二つのデータ。第一は、男女一組の約50分に亘る言い争いを録音したもの。125のオマエの事例が観察されたが、その内63は相手を指示する二人称代名詞とは考えにくい。末尾抜粋は男性話者が女性に反論する場面。すべての事例が(1)直前の音と結びつき且つ崩れて発音され(2)フレーズ末に現れ(3)話し手の強く感情的な口調と共起し(4)(あるいは2行目の事例を除き)相手について語っているとは言い難い等の理由から、これらは擬似終助詞として主に情意を指標していると考えた方が適切ではないか。第二のデータはテレビのコメディー番組からの抜粋で、同様のオマエが演じられるが、まさに「演じ」の対象となっている事実が擬似終助詞としてのオマエを裏付けよう。
アニメ世代の学習者がすでに感知しているかもしれないこのような "insulting" な(ふりがな和英辞典 1995)情意のオマエを説明する一手段として、上のような分析は有効ではないだろうか。
だ=から卑怯だっつってんだよ//
プランを立てる、しようとする気もないのにオメー//
人がオマちょっとそういうふうにオメー//
できなかったからってオメ//
そういうことはいちいちがたがたオマ(エ)…