日本語教師は日本語だけではなく日本文化も教えるべきだなどと 以前から文化と言語の関係、また、言語教育における文化導入の 必要性を触れているものが数多くある。それらは確かに非常に重 要であるが、最近の文化理論の動向を見る限りでは、どうやらそ の問い自体にも問題があるようである。その問題というのは問い かけている人たちが実際にその文化、日本文化の存在を前提に話 をすすめているということである。
本発表ではまず、「文化批判としての人類学」で批判の対象と なった比較研究アプローチを簡単に紹介し、その後、普遍主義と 特定主義に共通する問題を最近の日本研究の例をあげ見ていきた い。文化理論は自分達とは「異なる」人たちの行動を自分達の行 動と対比して説明しようとして発展してきた。そのため「文化」 は固定化され、乱用され、時には悪用されてしまったきらいがあ る。その流れを批判的に見て、日本語教育にも当てはめて考えて いくのが本発表の目的である。
文化理論の発展は、現在では残念ながら実際に教育に携わるもの と理論構築をする者の間に開きがあるため、まだまだ実際の教育 の場とは結びついていない。そんな中で私が提案したいのは日本 語教師が文化も教えなくてはならないのではという必要性を感じ た時のその動機をもう一度見つめ直すということである。問いに 答える前にその問題設定について、つまり、どうしてそのような 問いかけをしたのかということをもう一度深く考えること、その ような問いかけをしていくことこそが今の日本語教育、言語教 育、ひいては教育一般に一番必要なものなのではないかと私は考 える。