「敬語」が使えるほど「親しい」間柄?
――ドライバーとナビゲーターを演じる友人同士の口をつく「あそび」デスマス体――
("Close" enough for "honorifics"?: A case study of the "playful"
use of desu/masu by friends enacting Driver and Navigator)
「敬体」(いわゆるデスマス体)は、従来、主に「丁寧さ」「あらたまり」、また近年ではより抽象的に「距離」を示すものとして分析されている(Jorden
1962、Martin 1975、Shibatani 1990等)。「距離」の意味合いも多岐にわたるが(Ikuta 1983、Cook 1996等)、共通点は、それが「離れている」つまり<+遠>という意味で使われていることである。ところが、デスマスの実際の使われ方をより広範に見てみると、「あそび」デスマス体とでも言うべき事例にぶつかる。
分析の対象となったデータは、友人同士の女性二人による自然な会話(録音時間21分)。ハンドルを握るM(30歳)と助手席のY(32歳)がはじめての食料品店へ自動車で向かう途中、何度も迷いながらようやくたどり着く過程を記録(データ名「迷子」)。「友人同士」の「くだけた会話」として同じ二人が他の2つのデータ(計25分)ではほとんどデスマスを使っていないのは肯けるが、「迷子」では67トークンにも及ぶ(M35回、Y32回)。なぜか。
本研究では、二人の「あそび」心のあらわれがその主な理由ではないかと提起する。末尾の抜粋は、二人が迷ったのち同じ地点に戻って来たことに気づいたところ。ここでのデスマスの機能に関し、まず、一般に言う「丁寧」や「あらたまり」は除外されよう。また、全体の60%以上が笑い(ただし「つくり笑い」「照れ笑い」とは感じられない)や情意シグナル(例えばユーモラスな声の調子)と共起していることに注目すると、相手や望ましくない場面から「距離」をつくる目的で使われる心的緩和材としてのデスマスとも考えにくい。そこで、「迷子」全体を通して感じ取れる「あそび性」を正視し、二人がドライバーとナビゲーターというロールプレイを演じ楽しむことができるほど親しい間柄にあるからこそ出てくるデスマス体と見ることが可能である(Bateson
1972 の "play frame" 参照)。こうしたデスマス「敬語」は「あそび」を保証する仲間意識、すなわち<+近>を示すものではないか。
本研究は、これまで言語学的には見過ごされてきた「近さ」を指標するデスマスを検証するもので、同時に近年ますます関心が高まりつつある「敬語」現象および「スタイルシフト」現象の複雑な側面を描き出す。
データ抜粋(@は笑いを示す) / Excerpt ("@"s indicate laughter)
1 Y: だんだん地理に,
2 明るくなって [来マシタね @@@]
3 M: [<@ ぜんぜん明るくない私! @>]
4 私は明るくないデス!