継承語日本語語獲得へのダイナミズム
ーー中等教育での実験、__文学、演劇、社会文化論通じて

津田和男
国連国際学校

最も不可解なものである教育という原像について話したいと思う。というのは教育の場を科学的に理解する事ができるのかという疑問と同時に日本語教育の事を考える時、ここ数年「教育としての日本語」という課題で考えない限り、我々中等教育の場にその存在根拠をもつものにとってあまりに意味のないものとなっていると感じたからである。

すなわち、ここでの議論は教育の実態に向かってある種の科学化ができないとすれば、われわれはどこを向いて歩けばいいのかという疑問であり、一方で教育の実態を浮き彫りにできるような方法がない限りわれわれの歩みは今以上に絶望の岸に立たされるだろうという危機感より発しているのである。

特に継承日本語なるものがおかれている位置はあまりにも物悲しさと豊かさとの間に置き忘れ、継子扱いをなされてきなのである。

自己の教育体験だけから言うとこの継子扱いされてきた継承日本語教育こそ28年前の私の日本語教育のの出発点であったし、今日ここに皆様とともに日本語継承語教育について本格的な話ができるということは、時代の要請でもあり、継承日本語教育のなかにある基本的課題の中に真に問われなければならない教育の原点が含まれて思うからである。そして、継承日本語教育はいまも、わたしの日本語教育活動の原点であり、教育に対する基本的な姿勢を問われる場でもある。

また、中等教育における継承語日本語獲得はすでに生徒自身が何らかの(それが負の価値であれ、正の価値であて)社会的、心理的動機付けをもっている所から出発せざるをえない。その上、具体的な授業では授業のもつダイナミックスのために様々な問題が浮上するまた、中等教育における生徒特有の心理的、社会的関係もおおきくこの継承語日本語獲得に重なっていることも重要である。

まずは、以下の順序ではなしをすすめていく予定である。1)Nihongo 教室の位置、2)システムとしての授業、3)アイデンテイと社会化、4)演劇、文学、社会文化論をつうじて、5)International Baccalaureate (Higher A1, A2, Standard Higher B)、そして、6)教育としての日本語継承語教育の在り方を検討する。

1) Nihongo 教室の位置、国連インターナショナル、スクールでの実験:

生徒の言語背景のいくつかの類型と学校における言語環境の特徴を紹介する。
生徒の言語の形成の模式類型的展開@を一般化しておく。

国連国際学校のNihongo 教室での言語理解学習過程では今や「一つの正しい読み」が存在するという作家および作品論的な読みの行為からテキスト論A的な読みの行為としてテキストに書かれた言説と読み手の知識の経験、語り手の言説空間と物語空間の錯綜と表現の在りか、や「自我」までも関与するような語用論的相互作用や、テキストの「明白」部の読み手に対する「呼びかけ構造」の組み込みが読者を自分の言葉で能動的に埋めようとするところに相互作用のの基本的プロセスがある。また、このようなテキスト理解の相互深化(自己理解と他者理解との内的対話のプロセス)の連鎖作用とその修正と総合化と新たな読みの可能性へと発展していくダイナミズムの在り方を構造化するような生徒中心の授業形式(グループディスカッション、グループプレゼンテーション、オーラル個人プレゼンテーション、ロールプレープレゼンテーション、ディベート、等の色々の方法)を採用している。また、基本的な情報としての5W1H(who 主人公、where 背景、when 時代、what 主題、why プロット、how 語り手、文体、文彩)中にテキストの読みを簡素化し、読み手と書き手のなかに文構造を立体化させる。また、文構造を挟んで文法的な位置(「た」のもつ語り手の位置や「が」や「は」のもつ書き手の読み)から修辞学的な比喩(白雪姫と赤頭巾ちゃんの相違)の位置にまでその解釈の立体化を推し進めるようにしたおく。また、ここでの作業はナショナルスタンダードでいうインタープレティブモードBにあたると考えられる。また、コミュニケーションモードはこの作業過程の中に内包されている。

国連国際学校のNihongo 教室での言語表現学習過程ではテキスト論的な読みの行為の具体的な表現行為としての解釈的な書き、読者を意識した発表、全体的な表現としての演技、批判的な対話として意識化し、その中での日本語文法や漢字学習を位置付けようとしている。ノートのあり方を三つのポイント解釈し、taking note(単なるコピーではなく情報の収集作業), making note(集められた情報を主体的な解釈中心にして情報の集約する作業), using note(集約化された情報の主題を中心に発表へと高めていく作業)としている。ここでの作業はナショナルスタンダードでいうプレゼンテーショナルモードCにあたると考えられる。プレゼンテーションに向けて情報の収集、主題の収斂化やアウトラインの創造、文の推敲、想起的記憶の強化、観衆とのコミュニケーション、演技の必要性などが考えられなければならない。

国連国際学校のNihongo 教室での学習心理過程としてアイデンティティ確立も考慮されなければならない。そして特にアイデンティティと社会化の関係は継承語教育にとってとても重要な視点となると考えられる。アイデンティティの一般的な形成が単なる心理の一般的な発展経路を取らず様々な社会的な外部的な刺激に様々に反応する。その中で自己に対して対して自己を問う事になるが、外部の差異に気づき、その差異をてがかりに自己の像の範囲を決定する。この心理的な行為がアイデンティティ確立なのである。特に継承語教育の中の中高校生の心理状況を考える時この課題は最大の課題でもある。アイデンティティの在り方は個性的であり様々である為個々の状況によって変化の度合いも様々である。双子のような状況でも決して同様な方向で進行する事はないのである。

国連国際学校のNihongo 教室での社会的(緊張処理、異文化接触的)心理過程も様々な角度から検討されなければならない。例えば文化のマージナルマン状況や外国人論状況、緊張処理論D的な観点から、また日本語教育会では比較的良く議論されている異文化接触論Eとしても考察されなければならない。特に上記のアイデンティティと社会化のダブルバインド的な状況が日本語継承語教育の中に現れるからである。継承語教育内の生徒はマージナルな状況に立っている事はあきらかであるが、それに対するこの社会化のプロセスは個々様々である。しかし、ある程度の類型的な処理のを考えておかないわけには行かないだろう。不適応期から境界期そして適応期そして文化差克服期などに表わされた異文化移行のパターンなどに加えて、とくに近年話題になっているラーニングスタイルなどを含めた緊張処理の類型化をある程度射程に入れておく必要があるのではないだろうか。また、別の角度としてこの教育過程内で発生する精神的ストレスについても言及しておく必要があると思われる。

以上の問題を類型化するに当たって、様々な位相での類型が重層的になる事で一般論として定式化する事にはかなり問題があるように思われる。すなわち、国連国際学校での実験がすぐに他の土地に適応可能かわからない。まず、アイデンティティ確立のプロセスとしての類型と様々な緊張処理のプロセスとしての類型のダブル類型論になっている。それでダブル類型を定式化する事も考えられるが、たとえ考えたとしても内省的模式論(モデル)として地域的/個人的な教育な状況への在り方として考えたい。

2) システムとしての授業・教育

次に、私の立場は教育をするものとしてカリュキュラム作りという立場から教育自身が持つパラドックスについてより自覚的でありたいと思う。そのような観点から展開してみたい。教育がもつ、継承日本語教育のもつパラドックスは、 現在の教育にはかなず、教育目標とその方法としてのカリキュラムと教授法が存在するというところから始まる。そして教育目標によって生徒の評価がが自ずから決定される。教育目標に準じない者に悪い成績があたえられ準ずる者にいい成績が与えられる。この教育のプロセスは、良い教育目標が掲げられ、次にその良い教育目標に引き出されて良いカリキュラムが作られ、次に生徒がその教育目標に準じて評価される。しかし、良い教育目標といわれているものが本当に良い教育目標であるかという基準のために新たな評価が発生してくる。そして、次のようなパラドックスFも生み出す。良いカリキュラムは本来存在すべきでない悪い生徒を発見し、その悪い生徒をなくすための良いカリキュラムを創り出してします。

継承日本語教育のもつパラドックスは、この教育が持つパラドックスにもう一枚パラドックス重なるところが難しい。こどもは各々異なった家庭環境の中で、多様に社会化されて学校にはってくる。もし、がっこうがそのまま一人一人の子どもの差異からスタートして教育をするならば、こどもにおいて学校以前に形成されていた差異との区別がつかなくなる。学校はそのため外部起源の差異を学校システム起源の差異に転換して、内部化し、学校独自の活動を展開し、独自の成果を上げるシステムを作り上げる。すなわち、家庭で作られた差異をいったん学習準備度の差異として捉え直して、こどもに等しい教育をおこない、度量句や能力の違いとして教育の成果が異なった事を示す事になる。これは、一般的には外国語教育としての日本語などに明確にこの様な議論が現れてくる。卑近な例としてよくきかされる話は高校で日本語を取ってきた学生と大学で日本語取る学生と問題を考えるとかんがえてみればいい。しかし、一般の教育のシステムの上に置いて存在しているこの教育の内的なパラドックスに対して継承日本語教育においてはこの前提以前に社会化の度合いがあまりにも違っているという前提がつく。すなわち、内的なパラドックスのうえに外的な又は隠れた強制が加わる。

教育がパラドックスを持っている限り、教育が始動しないというのではない。むしろ、そのパラドックスの上に問題の解決の道があるはずだ。パラドックスこそ問題の解決の鍵である。パラドックスがある故に問題が現れシステムの作動のための新たな展開が必要になる。パラドックスによって与えられた強制は他の可能性を見出し、それに向かって問題を解決する決定をもつ時こそ「自由」である。問題の解決に向けるこの国の教育理念はプラグマチックな意味で解釈されることが多いが基本的には因果と自由のパラドックスの中から出てきた教育の問題である。

日本語継承語教育の授業の現場を出来るだけシステムとして授業を類型化してみる。特に教育技術可能性と教育技術の不可能性のなかの教育の可能性をかんがえてみたい。パラドックスの現われ方である。授業が「感動」的な体験の場であったり、「 権力」的な秩序の場であったり、また、中間的な只淡々と過ぎる平凡なものであったりする。それが意味している問題を少しでも考えてみたい。すなわち、授業における因果法則の適用の可能性と不可能性について我々は上記のような経験則をもっている。そこで、われわれがある程度教師としての予測ができ来る合理性においてインプットーーストラテジーーーアウトプットという作業プロセスをある一定の条件をかんがえながら、プログラム化を図っておしえてきているが、授業の際には生徒は学級内の規範に従いながらも、生徒がフリーハンドに行為できる機会が無数にあり、その行為が他の生徒や教師にとっては思いもかけない事である事がありうる。すなわち、授業においては二重の不確定な要素が存在していると考えられている。一方的な管理教育的制と操作中心主義ではなく、生徒が自分が教育を受けようとするには学級の規範にしたがうのと自己組織化の行為と生徒の行為が授業中に不確定で自己解放化の行為が相互依存関係を伴っているため、生徒は授業内で意図しえない「多次元的な」可能性に出会う事が考えられる。

授業が可能性を提示できるのは、各人物がじぶんとは異なる観点で他者を考え、行動するという体験がそこでなされているからである。授業システムに置ける「多視角性」G,H故に、各人物は自分の視角の特異性に気づき、自分の固有の見方を意識するようになる。

授業システムは多人数からなり、しかも画一的(平等)に生徒を扱うという構造的特性にある。そこで、20人がもつクラスとしての個性が全面的に開花するとは何か。生徒の自己成長としてのクラスの場を確保できるのか。そして、 他人を考え、自己を主張し、グループをまとめる。誰が誰を教育するのか。 教育とはなんなのか。様々な問題が発生する。

3) アイデンテイと社会化

特にアイデンティティと社会化の関係は継承語教育にとってとても重要な視点となると考えられる。エリック エリクソン的精神分析的アイデンティティ確立の類型の応用像(落合:1989、森敏昭:1996年)Iとして、

A型: 自己形成の航海にたつ前の児童期(この時期の子どもはまだ、人間の個別性を自覚していない。親の人生観や価値観をそのまま自分のものとして受け入れている(それまでに親子関係に特別な問題がなければ自分を取り巻く世界とのおおらかな一体感の中で精神的に安定している。)

B型:思春期に入ると自我に目覚めそれまでのおおらかな自分自身のこころの拠り所にしてきた親の人生観や価値観に対する不信が芽生え、やがて自分自身にも向けられる。

C型:青年たちは「真の自己」を探し出すための航海へと出る。この時期は親以外の様々な他者と出会い、世の中の様々な考えの人のいることを知る。また、出会いと同時に離別、決別の体験がもたす様々な人間関係への苦しい体験から人間不信に陥る事もある。

D型:様々な出会いと別れの体験の背後に「常に変わらずいる自分」がおぼろげながら見えてくる。未来への展望も見えてくる。他者とのこころの出会いと自己の自覚から友情や連帯感が芽生えてくる。のように紹介されている。

ここで、アイデンティティの一般的な形成が単なる心理の一般的な発展経路を取らず様々な外敵な刺激によって様々な変容が行われる。社会的(緊張処理、異文化接触的)心理過程は文化のマージナルマン状況や外国人論状況、緊張処理論的な観点から考察されなければならない。特に上記のアイデンティティと社会化のダブルバインド的な状況が日本語継承語教育の中に現れるからである。

しかしながら、、個性化と社会化のダイナミックスと教育のパラドックス2)の延長として個性的な部分と社会化を取り出してみるとき教育のパラドックスから問題解決の道を見る事が個々の生徒に可能な状況を創り出せると思う。特に生徒の多視角視点の活用としての授業システムは社会化と個性化を生む。しかし、一方には、この社会化のプロセスは隠されたカリキュラムJとの戦いでもある。隠されたカリキュラムとは教師が発言する内容に常に付きまとう問題である。「これが読めるかな。」といえば、「読める」という解答と「読めない」というか隠されたカリキュラムの対応となる。先生の発言に対して一定程度の了解とまたは教師の本音と見せかけの部分についての鋭い観察者としても生徒の存在は明らかに教育のパラドックスと通底している。

4) 演劇、文学、社会文化論をつうじて

1,2、3で問われた課題をより具体的な授業風景から展開により多視角視点の活用としての授業システムは社会化と個性化を生むということがわかる。

授業の基本構成はグループディスカッション、グループプレゼンテーション、オーラル個人プレゼンテーション、ロールプレープレゼンテーション、ディベート、等の色々の方法を使ってクラス内ダイナミズムを呼び起こす。文献は日本語文献を中心にするが、日本語の児童図書、英語文献も利用する。しかし、ディスカッションは概ね日本語によっている。 また、多くの日本語によるレジメとよんでいる書き物をかならず、人数分用意するようになっている。

自己評価、他者評価による社会化と個性化の方向性を出来るだけ付けるように必ず、個人プレゼンテーション、ロールプレープレゼンテーション、ディベートがある時には聞き手として話し手としての観点から自己評価や他者評価を書く。

自己評価、他者評価、を次の観点から行う。K1)作品の知識や理解2)解釈とクリティカルシンキング3)プレゼンテーション4)言語の使用 又は、 (1)内容、2)プレゼンテーション、3)言語の使用)より評価し、

基本的には高校1年生(日本の中3に当たる)から高校3年生の4学年が金曜日の午後4時から午後6時まで(演劇活動時には午後8時までになる、また休日も使う。)の時間の活動で、3年間でカリキュラムを終わるようにしてある。また、このクラスには他の学校からも生徒が通っている。国連学校の生徒はこのクラス以外にも週3時間から5時間日本語のクラスがある。

3年間の基本軸

1) 日本文学における、表現の捻じれ(表意と表音の意味):
2) 日本文学における、人間関係の捻じれ(自己と他者の意味)
3) 日本社会、文化における、社会関係の捻じれ(個人と社会の意味)

1年間の基本カリキュラム

@) 9月から12月まで、上記の1)、2)、3)を勉学する。
2) 1月から2月まで、国連学校の国連課題に対して日本の映画を紹介しながら勉学する、高校4年生は卒業論文(約25枚)を作成。
3) 3月から4月 上記の1)、2)、3)を勉学する。
4) 5月から6月 演劇活動にて締めくくる。

7年生、 日本語文法と国文法、プロジェクト(自己紹介、他者紹介、ニューヨーク市の紹介、世界各国の紹介、日本文化紹介、) 新聞講読、小説群、 漢字 Basic Kanji 1 or 2, or Basic Kanji 3
8年生、 日本語文法と国文法、プロジェクト(自己紹介、他者紹介、歴史上の人物の紹介、世界各国の紹介、日本文化紹介、) 新聞講読、小説群、 漢字 Basic Kanji 1 or 2, or Basic Kanji 3
9年生、 日本語レトリックと古代ギリシャローマのレトリック、新聞講読、小説群、 漢字 Basic Kanji 1 or 2, or Basic Kanji 3 or 常用漢字
10年生、 詩学、新聞講読、小説群、 漢字 Basic Kanji 1 or 2, or Basic Kanji 3 or 常用漢字
11年生、 文芸批評、日本古典史*( A1のみ)、新聞講読、小説群、 漢字 or Basic Kanji 3 or 常用漢字
12年生、 文芸批評、日本古典史*( A1のみ) 、新聞講読、小説群、 漢字 Basic Kanji 1 or 2, or Basic Kanji 3 or 常用漢字

日本文学における、表現の捻じれ(表意と表音の意味):

この課題は継承語学習者においてだけでなく、すべての日本語学習者においての謎の部分である、なぜ漢字を学ばなければならないのかという疑問に対してなされるなげかけであり、発問でも有る。明治期の文学運動を中心に言文一致の観点と社会的歴史的視点を交ぜながら日本語の言語形成と国家形成と自己形成の観点からグループディスカッション、グループプレゼンテーション、オーラル個人プレゼンテーション、ロールプレープレゼンテーション、ディベート、等の色々の方法を使ってクラス内ダイナミズムを呼び起こす。

以下は2000_2001の秋学期と春学期のシラバスである。

2000_2001日本語クラス
近代日本文学(明治編)

ディベート(T2_T4)
9・8 イントロダクション
9・15 余が言文一致の由来 二葉亭四迷 A 2#
9・22 学問のすすめ 福沢諭吉 B 3#@
9・29 漫罵 北村透谷 C
10・6 ディベート(T1_T3) 5#
10・13 武蔵野 国木田独歩 A
10・20 1970年=昭和45年_近代の日本の言説空間 (T4)7#
10・27 舞姫 森鴎外 B 8#
11・3 ディベート(T1)
11・17 舞姫 10
12・1 夢十夜 夏目漱石 C 11
12・8 12

ABC Group(言語、技術、教育=テキスト、 政治、経済=テキスト、 ジェンダー、コロニアル=テキスト)の一つを選ぶ。

Taking Note, research (情報を集める)
Making Note, theme/ problem solving (情報をまとめる)
Using Note, presentation (まとめた情報を使って発表する)

_ レポーターは必ず水曜日までに提出のこと。
_ 漢字のテストは毎週あります。
_ 金曜日のクラスのレポートは12月4日までに提出のこと。
_ T4のIB のレポートは
2000年10月1日までに(1000_1200words)X2=2000-2400
2000年2月1日までに(700_900words)X2=1400-1800
_ T4口頭諮問は3月半ばです。
12月の試験週間に日本語の4時間テストがあります。

2000-2001 日本語クラス
日本近代文学(明治編後期)

1・12 『蜘蛛の巣城』
1.19 『もののけ姫』
1.27 『家族ゲーム』
2.2 extended essay 発表 1
2.9 夏目漱石『こころ』上、中 (Note2, 参照) 2
2.16 夏目漱石『こころ』下 (Note2とNote3, 参照) 3
2.23 『こころ』T2,T3 ディベイト(Note2とNote3, 参照) 4
3.2 UNIS_UN,『こころ』T1 ディベイト (Note2, 参照)
3.9 『こころ』T4 ディベイト(Note2とNote3, 参照)5
3.18 島崎藤村『破戒』*『隅田川の水』A(Note2とNote3, 参照)6
3.23 石川啄木『食うべき詩』B志賀 直哉『十一月三日午後の事』C7
4.20 T4発表(戯曲) 8
4.27 (戯曲)発表 漢字テスト
5.4_5.30 (演劇、後日日程発表)
6.1 T1,T2,T3,ディベイト
6.8 exam

Note1:
Taking Note, Research (情報を集める)
Making Note, Problem Solving/theme (情報をまとめる)
Using Note, Presentation (まとめた情報を使って発表する)

Note2:
Who (主人公)
Where (背景)
When (時代)
What (主題)
Why (プロット)
How, (語り手、文体、象徴)

Note3:
UNIS-UN: Human Rights, Disarmament & War, Ethnic Struggles, Communications & Technology

Note4:ABC Group:
言語、技術、教育=テキスト
政治、経済=テキスト
ジェンダー、コロニアル=テキスト
_ レポーターは必ず水曜日までに提出のこと。
_ 漢字テストは毎週あります。
_ 金曜日のクラスのレポートは6月4日までです。
_ T4HA1の世界文学は2月20日締め切り、
_ T4ABの口頭諮問は3月11日10時より

国連学校における模式類型な例(3月9日、2001年)

短い例であるが、生徒たちによる問題提起の仕方に焦点を合わせて問題提起の教室活動内の発展的経過に注目してみようとおもう。黒澤氏の類型論Lを借りながら発展的に考えていく。

1:(滞日6年、対米1年、滞中国8年、滞スイス2年、12年生、中国人)(発表についてグループで質問するが最後のグループがちょっとつまっている。
「何でもいいから質問してみてください。」

2:(滞米13年、9年生)「何でこの部分だけスピードが早くなったと思いますか。」
質問の発生:拡散的参加、2は明らかに自分の意見を持っているので隣にいるグループメンバーに引き出されるように質問をはじめる。この質問はつぎの人に拡散的に広がり始める。ここでは文の形態と主人公の心理状況に対する質問として主人公の心理状況への問題の萌芽を秘める事になる。

3:(滞日7年、滞米6年、9年生)「同時に病気だっとしたら、どうしますか。」
質問の発生:拡散的参加から問題の発生契機:集約的参加 3は2での質問を受けて仮説的な問いを発生する。

4:(滞日10年、滞米4年、10年生)「自分の質問なんだけどなんでだけなんで先生がなくなっているのをしっているのになんでいくの。」
問題の発生契機から問題の深化:発展的参加 3の問いの連続上に事実上の不可解な部分の未解答な部分へと発展させる。

5:(滞日8年、滞米1年、ルーマニア4年、9年生、ルーマニア人)「それに私が思うには。。。。」
問題の深化:共感的参加 問題に対して共感的な参加する。

6:(滞日10年、滞米4年、10年生)「先生はきてほしいかったのかな。」
問題の深化:共感的示唆的参加 問題に対して共感的示唆的な参加する。

7:(滞日12年、滞米2年、10年生)前提を了解してうえでの質問
問題の深化:批判的参加 問題に対して批判的な参加する。

この短い記録のなかにクラスの発展的な相互的多角的参加型の瞬間を垣間見る事が出来たと思う。ここでは教師が何ら指導していなく、ファシリテ_ター としてしか参加していない事が見えると思う。クラス内の発展的な議論の流れに大きな指示を与えているに過ぎない。また、ここに言語問題から発生して人間関係の課題にまで飛び込んでいるクラス状況が見て取れるはずである。

日本文学における、人間関係の捻じれ(自己と他者の意味)

この課題は継承語学習者においてだけでなく、すべてのこの年齢の学習者においての謎の部分である、毎日毎日が、この課題によって揺れ動いている彼らがいる。明治大正期の文学から 現在までを見渡した文学の移推を中心に自己形成と他者存在から関係意識に移っていく観点と社会的歴史的視点を交ぜながら日本語の言語形成と国家形成と自己形成、関係形成、文学意識形成の観点からグループディスカッション、グループプレゼンテーション、オーラル個人プレゼンテーション、ロールプレープレゼンテーション、ディベート、等の色々の方法を使ってクラス内ダイナミズムを呼び起こす。

日本社会、文化における、社会関係の捻じれ(個人と社会の意味)

この課題は継承語学習者においてだけでなく、すべての日本語学習者においての謎の部分であり、また、この課題は継承語学習者においてだけでなく、すべてのこの年齢の学習者においての謎の部分である。とくに現在の課題になっている教育課題、日本社会の歪み、国際社会の中の日本など様々な問題を取り上げ、自己形成と他者存在から関係意識に移っていく観点と社会的歴史的視点を交ぜながら日本語の言語形成と国家形成と自己形成、関係形成、文学意識形成の観点からグループディスカッション、グループプレゼンテーション、オーラル個人プレゼンテーション、ロールプレープレゼンテーション、ディベート、等の色々の方法を使ってクラス内ダイナミズムを呼び起こす。

国連学校における模式類型な例(3月2日、2001年)

3月1日と3月2日に国連総会議で高校生による会議があった。課題は以下に記するようなものであった。その会議の課題を日本からきた参加者9人と我々のクラスの18人が話し合うことになった。我々のクラスの子ども達が発言者たちの大体の内容を解説して問題点を明かにした。そして、この会議の問題点を二つ提出した。ダライラマ代表団に対する国連側の態度、と 生徒たちの児童労働支援などに関する生徒の立場、考える教育の在り方などか問題にされた。

A(滞日13年、滞米2年、10年生):ダライラマ代表団に対する国連側の態度は欺まん的である。

B(滞日10年、滞米4年、10年生)「日頃はAの生徒とは対照的な生徒」は今日の会議はコントロバーシャルな課題についての言及がなく、どちらかというときれいごとをならべている。

C(滞日6年、対米1年、滞中国8年、滞スイス2年、12年生、中国人)西洋側のダライラマに対する対処に対して中国のチベット状況の説明が制限されているという事実により国連が行った一国への批判を国連総会議場で行ってはならないというルールに賛成意見が出される。

また、学校側は国連外で討論の続行を考えるということになるなどのかんがえがだされ、次の課題にうつる。

D(滞日7年、滞米6年、9年生)生徒たちの児童労働支援などに関する生徒の立場について私たちはなにができるのか。なにもできないじゃないか。 日本からの参加者:私たちはこの会議に参加できたので、こんな問題があるということがわかった。とても意義あるこの会議は無駄ではない。これから考える。

E(滞米15年、11年生)わたしたちのできる具体的なことをかんがえたらいい。

この議論の中で、考える教育の在り方などか問題にされる。 F(滞日8年、滞米1年、ルーマニア4年、9年生、ルーマニア人) とくに日本の教育のなかでなにもかんがえないですごしていた。ここの人はみな自分のかんがえをもって発言している。

G(滞日9年、滞米4年、9年生)ぼくはここにいて考えるようになったし、かんじられるようになった。

H(滞日2年、滞米2年、滞他国13年、12年生)わたしも、なにもかんがえなかったが、此所へきてから、何をしたらいいのか考えるようになった。

I(滞米15年、11年生)去年の夏日本で海洋問題のボランティアをした。いろなことを習った。

J (滞日13年、滞米2年、10年生)ボランティア活動でいろいろなことを体験した。それがとてもよかった。

演劇における相対性と表現(相互体験と他者体験と言語体験)

演劇活動をNihongoクラスでは全体のカリキュラムの中でまとめの役割を当て得られている。即ち、年間のクラス活動の最後の場面として位置づけており、学年の終わり卒業式の前の日を日本語劇の日として25年間続けている。この日は継承語のクラスだけでなく、すべてのクラス、初級日本語から上級日本語および継承語小学生クラス、までも含んでいる。近年はNCSTJ(北東部日本語教師会)の主催の日本語コンテストもこの日に行っている、プログラムとしては 去年の例であるが以下のようになる。

パート1.4:30_6:30

ジュニア継承語クラス(小学校1_4)
ミドル1,2 継承語クラス(小学校5_6)
ミドル3日本語クラス(B コース)(中学1年生、初級)
ミドル3日本語クラス(A コース)(中学1年生、継承日本語)
ミドル4日本語クラス(B コース)(中学2年生、初級)
ミドル4日本語クラス(A コース)(中学2年生、継承日本語)
タット1日本語クラス(B コース)(中学3年生、初級)
タット1日本語クラス(B コース)(中学3年生、中級)
タット2日本語クラス(B コース)(高校1年生、初級2)
タット2日本語クラス(B コース)(高校1年生、中級2)
タット3日本語クラス(B コース)(高校2年生、IB Ab initio)
タット3日本語クラス(B コース)(高校2年生、IB SB/HB)
タット4日本語クラス(B コース)(高校3年生、IB SB/HB)
パート2、6:30_7:00
日本語スピーチコンテスト最終選考会
パート3、7:00_8:00
日本食お弁当
パート4、8:00_8:15
日本語スピーチコンテスト最終選考会審査発表
パート5、8:15_10:45
タット1_4日本語クラス(B コース)(中学3年生、高校1,2、3年生、IB HA1,SA1,HA2、継承語、海外子女)

これが日本語劇祭の当日の予定である。約6時間ぐらいのエベントを学期末に行っている。この演劇のために、継承語のクラスでは授業日数として12回くらいを割り当てている。但し、週末の練習(9時から6時)も少なくとも4日間は入れる。後は金曜日に3、4時間の練習時間を行う。生徒の自発性やグループでの多視角的視点の理解とグループへの苦闘とその社会化プロセスと発表の能力の育成や演技力、作品への理解力、作品への解釈力、等を養うのことになる。他の日本語クラスではビデオプロジェクトなどを作ってから、演劇活動に入っている。

ところで、この演劇活動は年間のカリキュラムの最後となるために出来るだけその年に学習してきた課題やその年に合った話題などに沿う様に生徒達と話し合うし、教師の側からもある程度可能な戯曲の選択をしておかなければならない。面白い事に教師の提出した第一選択には30,70で生徒達によって選ばれている。第二選択についてはほぼ100セント選ばれている。生徒の間で第一候補については拒否する権利が結果的に与えられているという事実がある。しかし、第二選択に関しては生徒達がミスからの権利を獲得するのであるが、戯曲の日本語版を探す困難さに直面して第二選択を受け入れる可能性が高い。また、別には生徒達が困難と思われる戯曲の入手を調査を取り入れながらプロジェクトする場合もあるし、戯曲事態に対して編集をプロジェクト化する場合もある、また、音楽、照明、衣装、小道具、大道具に関しても出来るだけ、プロジェクトとして自分達で制作するように指導している。また、学校内の他の演劇プロジェクトと協力体制を固めておく事は重要である。現在、日本語劇は学校内の三大演劇プロジェクトとしての地位占め自分達の演劇倉庫を確保している。この倉庫は他の学校の日本語教室への日本的な衣装や道具の供給の場にもなっている。

国連学校での日本語演劇活動は日本人(継承語教育も含めて)の自己表現の苦痛さやディベートなどでの表現の困難さの解消という点と非日本人(継承語教育も含めて)には日本人文化や日本語を実際に使う場として、また言語表現が定着化する場として演劇活動を行ってきた。

5)International Baccalaureate (Higher A1, A2, Standard Higher B)

International Baccalaureate での継承日本語の位置とその評価は1997年にカリキュラムとしてはじめて登場した、それまではの中途半端な存在が国際的にも認識されたし、日本語に限らず、国際的な要請として言語教育の中で位置付けられた考えていいと思う。これと殆ど同時にAb initioという2年間(高校の11年及び12年で学ぶ、初級のコースが出来たのである。)A2コースとはここで我々が議論している継承語学習者を指しているので紹介するM。

Language A2の説明を読むと、

The Language A2 programme is designed for study at both higher and subsidiary/standards levels by speakers with a high level of competence in the target language . The progamme is based on the study of both literature and language.

The programme meets the needs of the following in students:

- bilingual students who are capable of studying both their languages as languages A1, but who, for various reasons, prefer not to study two languages A1;

- bilingual students who study the better of their language as language A1 and require a course of study to bring the other language up to a similar level ( for example, where the language is spoken at home, making the student competent in oral communication in informal settings, but leaving room for improvement in written communication and formal situations);

- those who have lived for a great part of their lives in a country where the target language is spoken and have gone beyond the foreign or stage, but are not considered native speakers of the target language;

- those who have been educated throughout the secondary level at a school whose working language is not their native language ( for example, schools which cater for students of two or more nationalities or schools in bilingual area); such students will have gone beyond the foreign learner stage, whilst not being considered native speakers of the language.

6) 教育としての日本語継承語教育の在り方を検討する。

1,2,3,4,5の結果をもって考える。

特に生徒の多視角視点の活用としての授業システムは社会化と個性化を生む。しかし、一方には、この社会化のプロセスは隠されたカリキュラムとの戦いでもある。教育のパラドックスと問題解決としての教育は因果と自由のように逆説関係を持っている。我々が継承語教育を語る時この逆説的な関係をいつも体験的に感じている。その克服的解決を少しでも問題化しようとこの論文で試みた次第である。また、この実験が反省的模式類型である事も考慮してほしい。

Kazuo Tsuda/ Heritag Panel

@ 『 内発的発展論の展開』鶴見和子、筑摩書房 P71、
A『読む為の理論』石原千秋,木股知史、小森陽一、島村輝、高橋修、高橋世織、世織書房、p5、その他、多数の新批評文学理論から始まる様々な文学批評論のテキスト的教材の読みの訓練が必要である。
BStandards for Foreign Language Learning in the 21st Century National Standards in Foreign Language Education Project, 1999, P36
CNational Standards , ACTFL series、 National Text book Company, 1999
D『好奇心と日本人』鶴見和子、講談社新書p114、
E「異文化接触と発達」『異文化接触の心理学』川島書店、P151
F『ルーマンの教育システム論』石戸教嗣、恒星社恒星閣、P71
G黒澤俊二「知識獲得をすすめる三つの評価」『認知心理学者教評価を語る』若き認知心理学者の会、北大路書房、P23
H『ルーマンの教育システム論』石戸教嗣、恒星社恒星閣、P176
I森敏昭「学校異文化の中での自己形成と評価」『認知心理学者教評価を語る』若き認知心理学者の会、北大路書房、P233
J『ルーマンの教育システム論』石戸教嗣、恒星社恒星閣、P229
K Language A2, International Baccalaureate Organization P44、Language A1
, International Baccalaureate Organization P59
L黒澤俊二「知識獲得をすすめる三つの評価」『認知心理学者教評価を語る』若き認知心理学者の会、北大路書房、P24
MLanguage A2, International Baccalaureate Organization、P4

参考文献
Classroom Instruction that works: research-based strategies for increasing student achievement, Robert J Marzano, Debra J. Pickering, Jane E. Pllock, ACSD, 2001
Teaching Heritage Language Learners, John B Webb, Barbara L. Miller, ACTFL series National Text book Company, 2000
National Standards , ACTFL series、 National Text book Company, 1999
Standards for Foreign Language Learning in the 21st Century National Standards in Foreign Language Education Project, 1999
Language A2, International Baccalaureate Organization, 1997
Language A1, International Baccalaureate Organization, 1999
『 内発的発展論の展開』鶴見和子、筑摩書房 , 1996
『読む為の理論』石原千秋,木股知史、小森陽一、島村輝、高橋修、高橋世織、世織書房、1991 『好奇心と日本人』鶴見和子、講談社新書, 1972
『異文化接触の心理学』渡辺文夫、川島書店, 1995
『ルーマンの教育システム論』石戸教嗣、恒星社恒星閣、2000
『認知心理学者教評価を語る』若き認知心理学者の会、北大路書房、1996


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Phone: (303) 492-5487 FAX: (303) 492-5856

Language A1 Literature course for native or near- native speakers
Language A2 Language and literature course for highly competence speakers of the target language
Language B Foreign language course for students with previous experience of leaning the language
Ab initio Foreign language course for beginners.