Japanese as a Heritage Language (JHL) Classes in Brazil and Hawaii
-Their Differences and Similarities-
Michiko Sasaki (The National Language Research Institute)

本発表の目的

  本発表では、日本からの集団的な移住者の子弟にあたる人々に対して、いわゆる日本語学校において行われている日本語教育(以下、「継承日本語教育」)について考える。ブラジルでは日系3世、ハワイでは日系5世の世代にあたる生徒が多い。

ブラジルおよびハワイの「継承日本語教育」の衰退

1.1. ブラジルの「継承日本語」

 世界における日本語教育の動きを見ると、国際交流基金の調査結果が示すように、何らかの機関で日本語を学ぶ学習者の数は増加の傾向にある。年度によって調査の精度にばらつきがあり、数字を単純に比較するのでは不十分な側面もあるが、全体として学習者数は増加している。その中で、「継承日本語教育」学習者は減少の道をたどっている。

 以下は「継承日本語教育」が大きな割合を占めるブラジルの日本語学習者数の推移である。


図表1 日本語学習者数

調査年 全世界学習者数 (順位)ブラジル
(学校生徒/高等教育)
1990 981,407人 (6位)14,901人
(0/244)
1993 1,623,455人 (9位)18,372人
(130/512)
1998 2,102,103人 (10位)16,678人
(2,299/785)

国際交流基金日本語国際センター(1992,1995,2000)『海外の日本語教育の現状』
  ※90年順位には台湾が含まれない。93年順位は学校生徒に台湾が含まれない。


 学習者数の多い国・地域の順位では、調査年ごとにブラジルの順位はさがっており、他の国・地域に抜かれつつあることになる。総学習者数から学校教育の中の学習者(括弧内に呈示)、高等教育の学習者(括弧内)および民間学校の成人学習者を引いた数が、ほぼ対象とする学習者となる。括弧内の学校教育における学習者は増えているが、「継承日本語教育」の学習者は減少している。調査協力を得た日本語学校においても出稼ぎが盛んだった1990年代前半に300人まで達したという学習者が、1998年には100人になっていた。

1.2. ハワイの「継承日本語」

 図表2が示すように、米国における日本語学習者、特に年少日本語学習者は着実に増加している。ハワイにおいても、学校教育の中での週1コマといった形の日本語授業は増加している。

図表2 日本語学習者数

調査年 全世界学習者数 アメリカ(学校生徒)
1990 981,407人 (5位)29,611((5位)12,667)
1993 1,623,455人 (6位)50,420((5位)29,516)
1998 2,102,103人 (5位)112,977((4位)74,749)

 国際交流基金日本語国際センター(1992,1995,2000)『海外の日本語教育の現状』


 ハワイにおいて「継承日本語教育」を担ってきたハワイ教育会は、第2次世界大戦前の最盛期には、「166校3万9千の生徒たちを擁する組織」(ハワイ教育会1985)となった。戦後も「1950年より1960年代にかけて再び2万人以上の生徒を記録したが、70年代に入ると日本語の外国語化が急速にすすみ、教材、教授法の面で日本語学校は抜本的改変を余技なくされ、全島に於て日本語学校生徒の減少が目立ち始めた。」(同書)

 加盟校数および生徒数の変化は以下の通りである。

図表3 ハワイ教育会調査

School Year Schools Students
1972.5 71 7617
1986.5 43 3235
1997-1998
1998-1999
1999-2000
2000-2001
20
18
17
15
1374
1281
1165
1106

 ここにはブラジルおよびハワイで、集団的な移住のない現在、大規模な日本語継承が姿を消していく実態が見える。日系児童の場合、ブラジルにおいてもハワイにおいても、3世であっても5世であっても、家庭内においてもコミュニティーにおいても、一部の児童を除いて、日本語を使う機会が非常に限られている。多くの子供たちにとって、日本語は持っている言語を失うというよりも、既にいったん失われた祖先のことば(ancestral language)を加える、それも弱い加算的な言語となるケースが多い。

 以上の背景を踏まえて、本発表では「継承日本語」授業の教室談話を見ることで、今後の教育上の方向を考えたい。

2 授業とデータの概要 

 本発表は「継承日本語」の4授業(ブラジル、ハワイ各2)を学校教育の中の日本語授業(ハワイ4)との対比の中で見ていくものである。これまで小学校レベルの教室談話の分析については、かなりの先行研究がある。(Anderson 1995,Cook 1996, 茂呂1997、岡本1997、志水1999、藤江2000ほか)しかし、小学校レベルの「継承日本語」授業についてはほとんどなされていないと言ってよい。

2.1. 授業概要

 1998年8月と9月にブラジルとハワイに滞在し、データ収集協力を得たものである。ブラジル13、ハワイ23授業の中から、主として、小学1年生相当4授業(A1_D1)について述べる。


図表4 授業概要(以下のA,Bが「継承日本語」にあたる)
授業 授業A 授業B 授業C 授業D
地域 ブラジル ハワイ ハワイ ハワイ
位置付け 継承日本語 継承日本語 半継承 外国語
学校形態 日本語学校 日本語学校 私立学校 公立学校
時間帯 放課後 放課後 正規授業中 正規授業中
占有設備 あり なし あり あり
教師年代 中年(教育歴長)
2人
高年(教育歴長)
1人
高年(教育歴長)
1人
若年(教育歴短)
1人
週あたり 180分 225分 30分 30分
授業単位 45分×2×2 45分×1×5 30分×1 30分×1
レベル1(小学1年生相当)のみ
学習者数 8人 17人 17人 22人
レベル3のみ(小学3年生相当)のみ
学習者数 10人 17人 24人 20人

8授業の共通点
(1)地域_地方に位置する。都市型。移住地型ではない。
(2)教師_現地語の運用能力はかなり高いが、母語は全員日本語の女性たちである。日本語と現地語を併用した言語生活をおくっている。
(3)生徒_小学校1年生の年代および小学校3年生の年代を中心とする。
  学習者は全員現地語が母語であり、生活語であり、学習言語である。その多くが日系人である。
(4)日本語の位置_ブラジルでは、国としては、日本語はポルトガル語、英語、スペイン語の次、4番目以下の影響力を持った言語である。(新プロ:1999)ハワイには日本語があふれているようには見えても、地域としては、ハワイ語、中国語、フィリピノ語といった様々な言語と競合している。

2.2. データ

 本データの問題点として、量が限られていることのほかに、以下が挙げられる。
(1) 録音/録画の影響
(2) 影響を最小限に留めるためにカメラおよびカセットレコーダーを1台に限っていること。
(3) 見知らぬ「東京からの先生」の存在。
(4) 各授業については1回ずつの訪問であること。
 分析対象としたデータは各授業の最初の2分ないし3分過ぎた、教室活動に少し区切りが見られる箇所から18分間である。録画・録音テープとその文字化を分析に用いた。
 音声的にも形態的・統語的にも、日本語化されていると思われるものは日本語表記で、ポルトガル語もしくは英語要素が強く残っているものはそれぞれの言語表記で記した。

 文字化記号
T:教師発話、
S1_およびS?:生徒個別発話/ SA:生徒一斉発話/ SS:複数生徒発話
T+S:教師+生徒
< >:笑い等の言語行動/ポーズ
 …:継続調/  。:下降調/  ?:上昇調/ (??):不明箇所
<*><。><、>:重なり発話のスタート箇所
[ ]:翻訳 
*名前はすべて仮名である。

3. 分析 _ 「一斉授業」と教室内インターアクション

3.1. 授業A 

 授業Aはブラジルの「継承日本語教育」であるが、ブラジルに多い複式授業の形は取られていない。専用教室があり、副教材の保管、パネル・チャートなどの掲示が可能で、授業では教科書と副教材(果物などの絵カード、絵パネル、形容詞等をまとめた図表)を使用していた。
 授業1,3とも、口頭練習中心で、1は「_を食べます」を、3は形容動詞を認識させ、定着をはかるものであった。
 授業1について、教師は少人数で平均的なクラスとの認識があった。授業3は担当教師自身が、かなり問題があると感じていた。
 以下は授業A1の一部で、このようなインターアクションが、A1およびA3には繰り返し見られた。


T   :聞きますよ。
はるお:Hiroko doida Hiroko doida, Hiroko doida, Hiroko doida.(キチガイひろこ)
                           <歌うように明瞭な声で>
ひろこ:Haruo doido.(<小声で>キチガイはるお。)<ポ語おしゃべり>
T :何を食べますか?
はるおHiroko doida. <続いて、ポ語おしゃべり>
ひろこ:Haruo doido.(キチガイはるお)
ひろこ:Haruo ばか。
S  :nao sei quantas vezes deles.(( )何回か分からない。)
T :何を食べますか?<わざとゆっくり言う>  /3/
S :(ポ語??)。
SS  :<ポ語おしゃべり>
T   :(??)?
SS  :<ポ語おしゃべり>
はるお:Hiroko doida.(キチガイひろこ)
S  :Haruo, fica com esse.(はるお、これいいよ。)
はるお:Hiroko doida.(キチガイひろこ)
S  :Haruko, fica com esse que tu vai pintar.(はるこ、君はぬるんだからこれいいよ。)
S  :Tu pinta esse.(君はこれをぬって。)
はるお:Natsuo kun doido.(キチガイなつお)
T   :何を食べますか?
T   :何を食べますか?
T   :何を食べますか?
S  :(??)。
T   :何を食べますか?
S   :Deixo usar tambem.(僕に使わせて。)
S  :(??)食べます。
T   :はい。
T :ふゆおくん、何を食べますか?


教師は、まず「聞きますよ」と言い、これから質問応答練習に入るという枠組みを作っている。その活動は、教師が回答となるべき絵カードを見せながら、「何を食べますか」という答が自明な質問を発し、指名された生徒が絵カードに従って答えるものである。一人の生徒に話しかけているように見えるが、実際は全体授業をしている。他の生徒達は先生と一人の生徒とのやりとりを聞くことによって文型の理解と定着をはかるというのが教師の想定である。
 しかし、文字化に示された箇所では、明瞭な答は出ず、他の生徒達もやりとりを聞かずに、くだもののぬり絵に必要な色鉛筆と鉛筆削りの確保や、級友をからかうことをポルトガル語で行っている。「Hiroko doida」(キチガイひろこ)は例示箇所の前にも1分_2分間で2カ所、5分_6分間で3発話見られる。さらに8分経過後には、
はるお:Hiroko doida, Hiroko doida Hiroko pirada, Hiroko namora com Akio.
  (キチガイひろこ。キチガイひろこ。頭がおかしいひろこ。ひろこはあきおと付き合ってる)
S  :Hiroko namora com Akio.(ひろこはあきおと付き合ってる。)
SS  : Hiroko namora com Akio.(ひろこはあきおと付き合ってる。)
とエスカレートしている。
 見知らぬ大人の存在と、授業が録音されていることが、エスカレートの原因になった可能性はある。11分経過後の発話に「なつおはキチガイだってテープレコーダーに言わないでよ」という発話があり、その後、「なつおくん e legal.」(なつおはいいやつ)という発話が起きる。
 しかし、15分後の時点でまた「キチガイひろこ」が出現し、授業の最後まで時折出現する。
これら一連の発話に対する教師の介入は一切なく、教師はあくまでもクラス全体で「何を食べますか」「_を食べます」という質問応答練習を続けていくという姿勢を堅持している。教師は生徒をしかる言葉を一切使わず、時にゆっくりと、時にくりかえして質問することで、生徒の注意を喚起している。従って、授業は(1)教師とその相手として選ばれた生徒と、(2)他の生徒達の色鉛筆やからかいのやりとりとの、二重構造になっている。
 なぜ教師は二重構造を解消する方策をとらないのかという疑問に対する、教師自身および同僚の言葉を借りれば、キーワードは「やさしさ」と「のびのび」となる。午前中、ブラジル学校において厳しく、負担の大きい授業を受けてから来ている子どもたちをやさしく包み込み、ほっとのびのび出来る空間および時間を提供することもひとつの機能だとする意見があったことをあげたい。
 この授業における二重のインターアクションを見た時、表に位置するインターアクションは、圧倒的に教師主導型である。(T←→S1)のほかに、時に教師の指示のもと、答が自明な質疑応答をペア・ワークで行うこと(T→(S1←→S2)T)が入るだけであった。そして、裏のポルトガル語によるインターアクションは、S1←→S2が多く存在した。
 授業A3についても、主導型の口頭練習を続けようとする教師に対して、生徒達の行動は必ずしも期待にそうものではなかった。生徒の人数は少ないが、教師主導型の表のインターアクションからはずれて、騒がしく席をたつ行動、古い子供用雑誌を覗く行動、子ども同士のポルトガル語での私語、他の子に聞かれた質問に回答してしまう行動、トイレ・水飲みに立つ、消しゴムを求めて歩き回る、居眠りを始める、勝手に黒板に板書する、勝手に黒板の字を消すなどの行動が見られた。ただ、佐々木(2000)において一部に言及したが、レベル3では、教師は常に生徒達を学習に引き戻すための指示を発していた。18分間の中に「(紙を)しまって」10回、「60ページ(をあけて)」8回というふうに繰り返すのが見られた。レベル3でも、クラス全体で授業を進めようとする教師に対して、個別の行動に走る子供たちの姿が繰り返し見られた。二重構造の中で「一斉授業」が進められていたと言える。

3.2. 授業B

 授業Bは教科書を中心とし、分析部分の目標は、課の理解と定着であった。専用教室はなく、副教材等は持参したもののみ使用できる形で、レベル1は教科書のみ、レベル3では教科書と模型の時計を使用していた。
 担当教師は全体としては平均的なクラスだが、難しい生徒がいると感じていた。生徒が授業に熱中しない様子が見られたが、全体に影響を及ぼす"問題行動"は見られなかった
 以下は授業Bに繰り返し見られたインターアクションの型の一例である。


T :はい、S1、これは何ですか?
S1 :それは、鉛筆です。
T :O.K., S2さん、これは何ですか?<テキストの挿し絵を指す>
S2 :(??)
T :(??)
T :これは、何ですか?<テキストを指す>
S3 :(??)
T :はいS4さん、これは何ですか?<テキストを指す>  /3/
S4 :こ、これは、(??)です。
T :はいS5さん。<テキストを指す>
S5 :それは、スイカです。
T :ほらS6さん、これは何ですか?<テキストを指す>
S6 :それは、電話です。
T :電話です。
T :はいS7さん、これは何ですか?<テキストを指す>
S7 :それは、自動車です。
T :わかりました?
SA :はい、わかりました。


教師はテキストの挿し絵を利用しながら、一人ずつを指名しつつ質問応答練習をする。これも特定の一人の生徒と話しているようには見えても一斉授業である。指名されていない生徒は、熱心とは言えないが、教師の質問と指名された生徒の応答を聞いている。ブラジルの授業例に比べて私語は少なめである。
 引用箇所最後の部分だが、教師が「わかりました?」と発すると、生徒全員でまるで歌のコーラスのように、声をあわせて「はい、わかりました」と答える。恒吉(1992)に述べられる「集団同調」が見られる。授業Bは、レベル1もレベル3もしっかりと構造化されており、生徒たちにはその枠内での行動がかなり厳格に求められていた
 しかし、以下は唯一その枠が崩れた時である。以下の声の出し方と上記の引用部分の最後の箇所の声の出し方とは、まったく質が違っている。これは、教師が「挨拶のけいこ」と呼んでいるルーチンで、ふたりずつ4組8人が指名される。そして1組ずつ教室の前に出て、教師の指示でお辞儀をして挨拶のことばを言うものである。例えば、教師が教室の前に立ったペアに「in the morning」という指示を出せば、お辞儀をして「おはようございます」と言うというルーチンである。
そのペアに、当てられたくてクラスが突然活気づく。


T :Ok はい next?
S? :せんせい、せんせい、せんせい、せんせーい。<あてられたくて、大きく発声>
SS :せんせい、せんせーい。
T :はい、S1さん。/14/
S2 :Ah…<がっかりした声>
T :S2 さん
T :S3 さん。
T :S4 さん、S4 さん
SS :先生。<強く発声>
T :S5 さん、S5 さん
T :S,S,S.
T :S6さん。
S? :S6-san (英語??)
T :O.K., then(英語??)。
T :はい、S7さん、S7さん、S7。
T :S8, S8, S8.
S? :先生、she said a bad word again.
T :O.K., はい。
T :(英語??)
S? :She said a bad word again.
T :はい。


悪いことばを口にした級友がいるということまで言って、自身が指名されることを望んでいる。それも前に30秒ほど出て、模擬挨拶をするだけの活動である。ただ、それまでは歌を含めて、すべて教師の指示に受け身で従うという全体一斉活動であったので、活動形態が異なることは確かである。
 授業AおよびBの特徴として、(1)週あたりの時間数の多さと(2)教師の設定した活動に対するかなりの数の生徒の不参加行動があげられる。ここに教育技術の問題もあろうが、放課後の気のゆるみ、学校授業と放課後の授業に対する暗黙の差別化という要因が強く働いている。現地の学校教育の中では静かに教師主導型の活動に取り組む生徒が、日本語学校では取り組まない現象は、調査対象の授業に限られるわけではない。つまり、逆に言えば、差別化を克服するような教授技術が、「継承日本語教育」には求められている。
 以上、「継承日本語」授業のAおよびBの両クラスにおいて、差別化を克服するような教授技術の必要性があることを見た。「継承日本語」授業すべてで同様の問題があると主張するものではないが、1998年に訪れた、限られた数の授業においては、かなりの授業で似たような傾向が見られた。

3.3. 授業C

 授業Cは仏教系の私立学校の週1回の日本語授業である。生徒は日系子弟がほぼ全員を占める。分析部分で教科書は使用されず、授業全体で副教材(各種チャート、テープレコーダ、工作、ゲーム類)が多用されていた。専用教室があり、楽器、ゲーム用道具、副教材の保管が可能であり、パネル・チャートなどの掲示もされていた。
 担当教師は、問題がないと感じていたクラスで、生徒たちの授業集中度はかなり高い。班単位の席配置になっており、"問題"を起こしそうな生徒は、教師のすぐ前の席を与えられている。
 以下はルーチンの一部である。


T :じゃね、目を閉じて、数えましょう。
T :1から、30・・まで。
T :手を、膝の上、膝の上よ。
T :Do you know where 手 is?
T :ほら。
S? :<手を叩く>
T :手。
T :いいえ、違うの、違うの。
T :手を下に。
T :手を下に。
T :はい、座ってください。
T :背中まっすぐー。
T :いいですか?
T :いち、に<、>
T+SA:
<、>さん、し、ご、ろく、しち、はち、くう、じゅ、11、12、13、14、15、16、17、18、19、20、21、22、23、24、25、26、27、28、29、30 /4/
T :<手を叩く>はい、おわり。
SS :31、32・・・。
T :はい、30まで。
T :30、いくつですか?
T :Huh?
T :How many did you count?
S :Thirty.

 教師主導型の活動ではあるが、生徒はかなり集中している。単に数を機械的に言わせる活動ではなく、集中度を高めるために「目をとじる」「背中をまっすぐ伸ばす」という手続きを踏んでいる。このほかの教室活動に、生徒の一人を教師役に指名し、生徒がチャートをポインターで指していくのにあわせてコーラスで答える、リズム観にみちた言い回しのついたひらがなカードにあわせて唱和する、振り付けをつけて歌を歌う、速さの異なる伴奏録音にあわせて歌を歌うなどが全体活動で行われた。さらに、班単位・個人単位の活動との組み合わせがなされ、、班単位での口頭発表の競争、生徒一人一人に毛糸を持たせて色の導入をする、折り紙を行うなどの作業が入った。

3.4. 授業D 

 日系子弟が多数を占めているが、非日系の子弟も入っている。教師は各授業の目標とシラバス、年間カリキュラムを持っているが、教科書は使用しない。専用教室があり、楽器、ゲーム用道具、副教材の保管が可能で、パネル・チャートなどの掲示も多くなされていた。副教材(各種チャート、楽器、ゲーム類)も豊富である。分析部分の目標は、以下の通りである。
レベル1 ルーチンになっている「天気の話」が出来ること、級友同士で日本語で名前が言えるようになること。
レベル3 友達と出会い、日本語で挨拶をし、じゃんけんゲームをして別れることができるようになること。
 担当教師は、問題がないと感じていたクラスで、生徒たちの集中度は最後まで持続された。

 以下はルーチンの一部である。


T :はい、じゃあ、みなさん一緒に、はい、木に(??)なって下さい。<SA姿勢を正す>
T :風は、ありません。 <SAは木になったつもりで静かにすわっている>
T :風は、弱いです<小声で>。/2/ <SAは少し上半身を揺らす>
T :風は、ふつうです。 <SAは上半身を揺らす>
T :風はありません<早口で>。 <SAは静かにすわっている>
T :風は、強いです。 <SAは強く体を揺らす>  
SS :<体の動きにともなった発声>
T :風はありません<早口で>。<SA動きを止める>
T :風は弱いです<小声で>。 <SAは少し上半身を揺らす>
T :風はふつうです<小声で>。 <SAは上半身を揺らす>
T :風は強いです。 <SAは強く体を揺らす>
T :風はありません<早口で>。 <SAは静かにすわっている>
T :はい、上手にできました。
SA :<笑>。

教師が指示を出し、生徒は指示通りの動きをする、TPR(全身反応学習)が用いられている箇所であるが、これが後でその日の風の強さの判断をするという意味のある活動につながっていくことと、ユーモラスな動きが生徒達にアピールすることもあり、全員が集中して動きに参加している。授業Dでは、このほかの、ゲーム部分にしても、コミュニケーションにつながるような情報のギャップが用意されていることと、個別、ペア、グループ、全体と活動形態が細かく変化するように設定されていることによって、生徒の集中が持続していた。

3.5. 「一斉授業」と教師の教室文化

  三宅(1995)は、Stigler et al.(1987)を引用して、日本とアメリカの小学校を対照させている。 __日本とアメリカの小学校の算数の授業を実際に細かく観察した研究によれば、日本の教師は学級全体に働きかけていることが大半である(86%)が、アメリカの教師ではそれは46%にしか過ぎない。そのぶん子どもに個別的にかかわることが多い(33%)が、日本の教師ではそうすることは少ない(11%)。つまり、日本の教師は子どもに質問したり、何か説明するときには学級全体で行うし、子ども同士の討論も学級全体を巻き込んだものにしようとする。__(1995:93)これは日本とイギリスの小学校の差異を述べる志水(1999)も指摘している点である。
 そしてこれが今回取りあげた全授業、わけてもA,Bとは非常に重なる部分である。志水(1999)は、現在日本の小学校で「一斉授業」が減少しつつあることを指摘するが、今回取りあげた日本語授業については、教師主導型の全体活動がかなり多い。A、B型の教師は日本で最終学歴(旧制女学校、高校、短大など)までを終えており、現地国の教員研修の機会は限られている。学校文化への社会化過程は、何十年か前の日本の教育によっていると思われ、それが授業形態に現れている可能性が高い。
 一方、授業Cでは、最初(時に指名されたSがTの役割をするにしろ)Tの指示に生徒全員(SA)が従う主導型活動を進めている。しかし、分析部分には現れないが、授業後半になるとペアワークや班単位の作業型活動との組み合わせを行っている。さらに、授業Dは、教師のコントロールはあるが、生徒同士のペア・グループ活動など、多様性に富む活動形態をとっている。T←→S、S←→S(構造化されたもの)、SS→S(構造化されたもの)、S←→S(自発的)などの種々のインターアクションが見られた。生徒によるモニターの取り入れで、Sに活動を自分のこととして受け止めさせ、Sからの発信を増やしている。
 「教師の相手役以外の生徒は静かにただ聞いているだけ」状態を緩和するストラテジーとして、以下が見られた。
(1)テキストとの併用
(2)実物・視覚教材の使用
(3)体験的作業の実践
(4)歌、非言語行動への巻き込み
授業A1では(2)、授業B1では(1)と(4)、授業Cはすべて、授業Dは(2)、(3)、(4)を用いていた。複数のストラテジーの組み合わせが学習者の集中度につながっていると思われる。

4 おわりに

 「継承日本語教育」の衰退については、様々な要因がからみあっており、教授的側面だけでその存続が云々できるわけではない。まず、三世なり五世なりの世代となった子供たちの人生にとって、この時期に日本語学習をおこなうことがどのような意味を持つのかの議論は不可欠である。これは日本で生まれ日本語を第一言語とした、あるいは、他地域で生まれたが家庭内では親が日本語のみを運用するといった環境にある、他地域の子供たちの日本語継承とは、当然異なる議論となる。それらがあまりなされないまま、中南米やハワイの継承日本語教育は、逆境におかれている。「ないないづくしの教育」と言っても良い。

4.1. 「継承日本語教育」の現状
ないないづくしの「継承日本語教育」


社会では日本語を使用しなくても全く不便がない。
子供たちはなぜ日本語を学ばなければいけないのかわからない。
保護者をはじめ、周囲にもそれほどの興味・関心・熱意は見られない
学校経営の後継者がいない。
お金がない。→英語教育などに比べて生徒の知的年齢と興味にあわせた魅力的な教科書がない、
       教科書の改訂が行われない。
       教育環境・設備が整っていない。
       先生の給料があまりない。
       教師研修がなされない。教師が定着しない。

 上記の要因の中から教育的側面を取り出して考えたい。国際交流基金(2000)が示すように、日本語教育上の問題点を調査した時、ブラジルでは、教材不足という声は学校教育で64.3、学校教育外で49.2の割合であがり、教授法情報不足(それぞれ28.6、22.3)よりも強く認識されている。(2000:100)ブラジルのみならず、各国で、児童に適した適切な「外国語としての日本語教科書」の欠如が指摘されがちだが、それははたして第一の要因となるのだろうか。確かに、「継承日本語」では、日本語の母語話者に対する国語教科書では授業はたちゆかなくなっており、外国語としての日本語教科書は教育に不可欠である。しかし、そのような教科書が開発されたとしても、また現にいくつか開発されてはいるが、授業の難しさが解決するわけではない。

4.2. 今後に向けて

 Pusavatほかでは、米国における日本語母語話者教師に対する研修内容のひとつにクラスマネジメントをあげている(Kataoka, H.ほか2001:30)が、継承日本語教育の分野にもそれはあてはまる。たとえ、魅力的な教室活動とテーマが満載された教科書が開発されたとしても、教師にクラスマネジメントの技術がない場合は、授業効果に限りがある。授業AおよびBの教師は、何十年か前の自身の教室における社会化過程を気付かずに持ち込んでいるように見受けられる。彼らに対する現地国の教員研修の機会は非常に限られている。日本語学校で数十年前の日本の教授技術が機能したのは、家庭内での親のしつけも数十年前の日本の学校文化に呼応していたからである。現状ではそれは望めない。
 年少者にとって、週1コマ30分の授業か、毎日1時間週5日の授業かは、日本語の定着にかなりの違いを生む。放課後の日本語学校に非日系(ブラジル)の児童、非日系の中国系やフィリピン系児童(ハワイ)の受講も見られる。その場合、「継承語教育」に加えて新たな役割が待っていると言える。言語教育を云々する以前の、年少者教育、つまり、人格形成部分の一端を担うこと、教科教育との関連付け、文化教育も担うことなども、大きな要素となる。また、生徒ひとりひとりの言語生活を考えた場合、母語としてのポルトガル語、国際語としての英語、外国語としての日本語、あるいは、母語としての英語、親の言語としての中国語、将来の仕事のための言語としての日本語などの様々な位置付けが考えられる。新しい形の開かれた日本語教育としての対応が望まれるのである。
 逆境の中でも、次の世代に対する愛情に支えられて、「継承日本語教育」に奉仕してきた教師は少なくない。「継承日本語教育」には、多くの場合、教師の出自に基づいた人一倍の熱意と、かなり長い授業時間と、生徒の背景文化(生活習慣、価値観などは出自の文化を継承)がある。教師の奉仕が実を結ぶためにも、問題点の整理と解決への示唆が望まれる。本年2月に開催されたハワイ教育会の講習会では、クラスマネジメントが議題として選ばれ、短時間ではあったが熱のこもった討議が行われた。教授面を考えた時には、この点に今後のひとつの方向性を見たい。

参考文献一覧

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岡本 能里子(1997)「教室談話における文体シフトの指標的機能 _丁寧体と普通体との使い分けー」『日本語学』明治書院1(3)、pp.39-51
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